令和ひぐらしがひたすら「令和」だったという話
『ひぐらしのなく頃に卒』が終わった。感動した。特に羽入が右手立てながら瓦礫に埋まっていくところは涙なしには見られなかった。
令和の時代に帰ってきた『ひぐらし』。
昭和が舞台の平成作品が令和に放送という時点で、もう情報がごった煮すぎている。
ヒゲのおっさんが美少女VTuberをやっているようなショックさである。
ともあれ、3つの時代をまたぐ作品となったひぐらし。
そもそも昭和が舞台設定にも関わらず、
ファミレスの制服が露出えぐかったり、
k1が「萌え」について熱く語ったりと
平成当時から世界観錯誤この上ない作品であった。
ならば、令和のひぐらしは何を見せてくれるのか?
そうやってワクワクしていたいつまで経っても少年のようなおじさん達は、
この『ひぐらし業』、そして『卒』を見てビックリしただろう。
なにせやっていることは、
「旧作の内容をちょっぴり変えました~」と言ったようなもので、
手口としては、少しの追加要素で新品と言い張る完全版商法のソレである。
特に『卒』に関しては、全4章中3章が『業』からの視点変更でしかなく、
かつての「目明し編」のような驚きとドラマがあるようなものでもない。
『業』の終盤で沙都子が黒幕だと明かされた時点で、それまでの「鬼騙し編」から続く物語の裏側など容易に想像できた者が大多数だろう。
というか実際に予測通りの展開をそのまま垂れ流してみせた。
……いやお前、もうちょっとどうにかできただろ!?
と、ツッコミを入れずはいられない。
実際半ば暴挙に近い構成と言うか、
率直に言うとかなり手抜きな展開に見えたというのが本音だ。
ていうかSSR鉄平ってなんだよ。
あと、エウアおばさんって誰やねん。
間口が広く、やる気になればいくらでも掘り下げられるのがひぐらし。
「梨花ちゃまと鷹野さんの共闘」
「目覚めた悟史くんが沙都子を救う」
エトセトラ、エトセトラ……
考えるだけでもいくらでも熱い展開に持っていけたはずの『業』と『卒』。
しかしそれらをすべてかなぐり捨てて、
何故このような水増しのごとく変な構成にしたのか?
答えは簡単だ。
それは、”令和のひぐらし”だから。
コレ以外にない。
…
……
「物語はハッピーエンドであるべきか?」
これは創作で語られる、永遠の命題の一つだろう。
ボクはバッドエンドもかなり好きなので、必ずしも主人公たちが幸せになる必要はないと思っている。
だが時代の流れはそうではないようで、
昨今の創作、少なくともアニメにおいてバッドエンドなどは淘汰されてしまっている。
また付随する部分として、
複雑な設定や込み入った世界考証などといった要素も、今ではあまり求められなくなっている。
これだけ娯楽が溢れている反動で、
一つの物語に労力やリソースを割きすぎることを忌避する流れが出来あがっているように見える。
あまり考えなくていい
わかりやすい勧善懲悪
見ていてスッキリできる
最後は幸せになって終わり
……全部が全部とは言わないが、
こういったプラットフォームこそが、
今の時代で流行りやすい傾向である。
これは恐らく読者の皆様の薄々感じておられるのではなかろうか。
異世界転生ものがいつまでも作られるのはまさに顕著な例だ。
爆発的ブームとなった『鬼滅の刃』も
ダークファンタジーというジャンルではありながらも、小難しい設定はあまり入れず、わかり易すぎるほど丁寧なストーリーテリングが特徴的だった。
更には、この真逆を行くような捻くれもの代表……セカイ系ジャンルの帝王とも呼ぶべきあの『エヴァ』でさえ、今やすっかり丸くなってハッピーエンドと来たものだ。
大なり小なり、上記の要素を色濃く持った作品が最近は持て囃されるような傾向を強く感じてしまう。
時代が今、わかりやすくて幸せな顛末を望んでいるというべきだろうか。
まぁみんな日々疲れてるからね。
仕方ないね。
あるいはこのストレス社会こそが、
本当の雛見沢症候群だったのかもしれねぇ。
「ん~~~ならいっちょ、『ひぐらし』も幸せにしていきますか!」
と、つまりこれが令和『ひぐらし』のノリであり、方向性である。
なので、多分「鬼明し編」だとか
「綿明し編」といったあたりの、
限りなく薄めたカルピスの如き展開は、
当初からそれを狙って作っていたのでは?という可能性の提示である。
しかも『ひぐらし』のリアル世代はもういいおっさんだからね。
脳も退化してる(失礼)ので、同じ話やっとかないと定着しないんだよ。
もしかしたら、そういうことまで計算していたのかもしれない。
まぁボクは9歳なのでよくわかりませんが。
更にはSSR鉄平や、沙都子VS梨花ちゃまのドラゴンボールをめぐる戦いといった、各種トンチキな、もはや悪ノリといえる要素にもこれで説明がつく。
何故なら令和ひぐらしは、単純娯楽にその比重を置いた作品だから。
旧作当時からネタにされてきた鉄平が、
同人誌よろしく本当にキレイになるという展開。
これを悪ノリすぎるのではという批判の声も一定数見られた。
しかしこれが最初から狙い通りだとしたらどうか?
梨花ちゃまが便槽にッシュー!され、
k1が無敵の防御力を誇り、
沙都子たちは空中線を繰り広げ、
その様をボクらは時にニヤニヤと、時に腹を抱えて見届けるのである。
「いや惨劇で笑っちゃダメでしょ」と真面目な読者もいるだろうが、
単純娯楽こそが令和ひぐらし本来の目的であるという可能性の証拠は、
ある一つの存在によって示されている。
そう、それがエウアおばさんだ。
沙都子たちの様子を見て毎週ケタケタ笑い転げていたエウアおばさん。
ボクらと心を一つにしてくれたエウアおばさん。
ありがとうボクらのエウアおばさん。
その姿はまさに、『ひぐらし』を見て笑っているボクら視聴者そのもの。
毎週それはそれは楽しそうにしていた彼女は「こう楽しめ」と、ボクらに説いている。
率先垂範とはまさにこのこと。
最終章のタイトルである「神楽し編」。
これすなわち、「かみたのし編」。
神たるエウアおばさんが楽しくて笑い、
作品世界における神のようなポジションであるボクら視聴者もまた笑う。
制作サイドがこのシステムを見越して
こんなタイトルをつけたであろうことは、推し量るまでもない。
もはや自明の理と言えよう。
しかもこのエウアおばさん、なんと最後に幼女化したのである。
これは、日頃自分が幼女だなどと宣っている精神異常おじさん達のメタファーである。
…
……
さて、ここでSSR鉄平について更に言及するのであれば、やはりその変貌ぶりに触れないわけにはいかないだろう。
旧作というか、原作というか、
平成の鉄平はブイブイ言わせていた。
立てばチンピラ座ればだらず
歩く姿はダム戦争。
ピンクの服が似合うだけのおじさんだ。
かわいいね。
鉄平が壊れ性能すぎてほとんど話題にならないが、
同時期に実装されたSSR間宮リナについても一緒に言及しておきたい。
絵に描いたようなダメ人間、クズ人間といえる彼(女)らが何故、
今になって改心するに至ったのか?
お察しの通り、これもやはり令和だからである。
コンプラ意識の増加に、様々な働き方の拡大。
昔ながらの悪習が少しずつ、しかし確実に撲滅されつつある現代日本の風潮。
鉄平たちもまた、そんな世間の気っ風を受けながら、無意識に繰り返されたループの中で、前時代的な生き方に疲れたということであろう。
彼(女)らは、これまでの古き在り方。過去のしがらみから脱し、
来たる時代にコミットしたというところだろう。
今の鉄平なら雛見沢のスキームにキャッチアップしリスクヘッジするバッファがあるのだろうね。
…
……
更に更に、物語のオチがヤンレズ化した沙都子の暴走というのも、
これまた実に風流と言わざるを得ない。
昨今のジェンダーレス……
などと書くと少し違和感があるが、
実際問題、近年はヘテロな恋愛物語が
アニメのトレンドとしては
かなり鳴りを潜めているように見受けられる。
男同士のキャッキャウフフに女が入り込むのは身の程知らずであり、
百合の間に割り込む男は処刑されねば残らず処刑されねばならない。
実際に百合であるか、恋愛関係であるかはあまり重要ではなく、
そこに二人だけの関係性があり、妄想を膨らますだけの余白があること。
それが今のオタク業界にとっては非常な重要なファクター。
今回のさと×りか(あるいはりか×さと)の依存とも取れる在り方は、
まさしくジャパニーズ・TOUTOIに通ずる文明開化であり、少なくとも、当時のひぐらしには作り出せなかった極地だ。
今という時代だからこそ、作り得た表現である。
これに関してはボクも自信を持って言いたいね。
さて、こうなると、今回のひぐらしに
中身が無い
ネタ切れ
ただのギャグアニメ
等々の批判の数々には、
もはや何ら意味を持たない。
ボクらがひぐらしを批判していたのではない。
ひぐらしがボクらを批判していたのだ。
全ては手のひらの上で転がされていただけに過ぎないのである。
…
……
二人の女の子の、一見クソどうでもいいすれ違いから発生した今回の惨劇。
そこから最後には全員が幸せになる世界へたどり着き、大団円を迎えた
『ひぐらしのなく頃に卒』。
それはまさに、ひぐらしというコンテンツが時代に適合する為にもがいたイキザマそのものだったのだ。
作中で梨花達がそうであったように、
”作品そのもの”も成長していく……。
この世は諸行無常……
彼女たちがいかに永遠の繰り返しの中を生きたつもりでも、
変わらないままではいられないのだ。
昭和平成令和をまたいだからこそ、
そのことを身を以て伝え、
ボクらに素晴らしい同窓会を開いてくれた令和版『ひぐらし』。
だからボクらも古きから卒業し、
新しい“今”へ、常に進んでいこうではないか。
そしてもしひぐらしの世代ではない、今を生きる若者の皆様に伝えるべきことがあるとすればこれはもう一つしかないだろう。
いいから、勉強しなさいよ!!!
ではまた。